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生島マリカの息子は元夫の誰の子?4度の結婚と離婚の経緯を調査

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自叙伝「不死身の花」の著者である、生島マリカさん。作家、僧侶として、その壮絶すぎる半生を告白したことで、話題になりましたね。

生島マリカさんには息子が1人いますが、壮絶な人生の中で、誰との間にさずかったお子さんなのでしょうか。

今回は、生島マリカの息子や元夫について、調査しました!ぜひ、最後までご覧ください。

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生島マリカの息子は元夫の誰の子?

生島マリカさんには、息子が一人いらっしゃいます。

1996年ごろに誕生したそうですが、子供の父親は事実婚の男性だったそうです。

しかし息子とは折り合いが悪く、2015年4月に現金、身分証、携帯も持たない状態で家出をしています。

その後、2016年2月6日に息子から電話で、働いて自活している、と報告があったそうです。

自叙伝「不死身の花」が世に出たときも、1番喜んでくれたそうですよ。

この自叙伝は、最愛の一人息子へ向けた遺書でもあるそうです。

実は生島マリカさんは、これまでに2度、子宮がんの手術をしており、「自分がいつ死ぬか分からないから、人生を書いて残したい」と、出版を決意したそうですよ。

和解後は一緒に沖縄旅行に行ったり、食事をしたりと交流があるそうです。

生島マリカの壮絶な生い立ち

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『不死身の花』には、生島マリカさんの壮絶すぎる半生が書かれています。

生島マリカさんの父親は、1928年生まれの在日韓国人一世で、宝石商として日本で成功しています。

人並外れたバイタリティを持ち、実家ではお手伝いさんもいたりと、かなり裕福な少女時代だったそうです。

しかし、女性関係がかなり奔放で、なんと9人も異母兄弟がいたそうですよ。

また、繁華街の宝石店ということで、裏社会との関係も深く、父は山口組幹部・山本健一さんと親友だったそうです。

金銭面では不自由がなかったものの、自己犠牲や子供への愛とは、かけ離れた人だったそうです。

また母親は、エキゾチックな美貌と数カ国語を話せる才女でしたが、生島マリカさんは昔から大嫌いだったそうです。

母は、中学入学したてのころに胃がんで亡くなったそうですが、「やっといなくなった!」と、思わず笑みがこぼれたそうです。

13歳でストリートチルドレンへ

生島マリカさんの母親が亡くなると、父はすぐに若い女性と再婚し、生島マリカさんはストリート・チルドレンとなってしまいます。

この継母と折り合いが悪く、家を追い出されてしまったのです。

父親の死後、お墓を巡り、継母とトラブルになったそうです。

継母にお墓をたてるお金を渡しても、20年以上実行してくれなかったので、裁判に発展したそうです。

その後、大阪の繁華街を転々とし、ディスコで知り合った大人に泊めてもらったり、ビルや工事現場で野宿したこともあったそうです。

風俗に売られかけた時は、父親の机の中から持ち出した大物ヤクザの名刺で、なんとか免れたそうですよ。

他にも、性的暴行をされたり、反社会的勢力に薬漬けにされそうになったりと、幾度となく恐怖を味わったそうです。

そんな中、14歳のときに高級クラブ「アクティブ」にスカウトされ、ホステスデビューを果たしました。

14歳で僧侶の愛人へ

その縁で、生島マリカさんは、巨額の脱税事件で知られる僧侶・伊藤義文管長の愛人になりました。

伊藤義文管長は、生粋の闇社会で育った一方、柿本寺の管長に就任しています。

その後も、風俗店の経営など、裏稼業も続けており、累計85億円もの売上げがあったそうです。

生島マリカさんが人間関係のトラブルで、「アクティブ」に出勤できなくなり、契約金を肩代わりしてくれる店に移籍した際、金主だった伊藤管長と出会ったのです。

14歳の若さで愛人となりましたが、その3か月後には伊藤管長が脱税で逮捕されてしまいます。

さらに生島マリカさんも、警察の見せしめで不純異性交遊で逮捕されてしまいます。

その後、すぐに鑑別所から釈放されましたが、伊藤管長が14歳少女を愛人にしていたという強烈なニュースは世間に知れ渡り、生島マリカさんの実家にまでマスコミが殺到する事態となりました。

ただ、これを機に父はこれまでのおこないを反省し、生島マリカさんに仕送りを渡すようになったそうです。

それ以降は、モデルや秘書、クラブ経営など、夜の商売をメインに働いています。

生島マリカはなぜ出家した?

生島マリカさんは、2012年に出家しています。

その理由は、30代後半頃、知り合いの女性に騙され、20代の男性に性的暴行を受けたことでした。

知人女性は「まだまだ若い子の性的対象になるってことだよ」と笑い飛ばされ、人間不信に陥ります。

精神科に通うほど病んでしまった生島マリカさんは、ネットで見つけたお寺に助けを求めます。

出家するまでの3年間は、高野山へ足を運んだり、僧侶たちと面談して過ごしたそうです。

生島マリカの4度の結婚と離婚まとめ

生島マリカさんは、これまで4度の結婚と離婚を繰り返しています。

生島久次さんの息子

歴代の夫との結婚順は定かではないのですが、「伝説の経済ヤ〇ザ」生島久次さんの息子・Aさんもいたそうです。

生島久次さんは、山口組系菅谷組の若頭補佐までのぼりつめ、金融業や会社整理関連で成功しています。

生島久次さんは1996年に暗殺されたので、生島マリカさんがAさんと結婚したときは、すでに故人だったようです。

Aさんは、父親から莫大な遺産を受け継いでいたものの、浪費癖がひどく、違法賭博で一晩で3000万円を失ったこともあったそうです。

また、海外高級ブランド店の常連で、お店を貸し切りにして買い物をしていたそうですよ。

その金遣いの荒さから離婚したそうですが、その後生島マリカさんは、資産500億円のセレブと同居したりと、お金持ちに縁があるようです。

元彼は清原和博?

生島マリカさんはかつて、元プロ野球選手の清原和博さんと交際していました。

大阪・北新地の高級クラブで働いているときに、清原和博さんがお客さんとしてやって来たことがきっかけでした。

22歳から1年半ほど交際していたそうで、清原和博さんはとても素朴な好青年だったそうですよ。

清原さんが関西に来るときは、私が一人で住んでいたマンションにも寄るじゃないですか。私が肉じゃがを作って用意していたら、彼はよそで食事をして、お腹いっぱいなのに無理にでも全部さらって食べるんですよ。

私は「もう残しー!」って言ってるのに、「おいしい、おいしい。お前がせっかく作ってくれたんだから、ありがとう、ありがとう」って言いながら食べてくれるんです。

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清原和博さんとは、いい思い出ばかりだったそうです。

元彼は山口組系?

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北新地の高級クラブでホステスをしていたころ、大物ヤ〇ザから求愛されたこともあるそうです。

それは、山口組の5代目組長・渡辺芳則さんで、山口組最盛期のトップでした。

ただ、プライベートでは気の良い人だったそうで、とてもお茶目な方だったそうですよ。

また、山口組の若頭補佐・桑田兼吉さんにも口説かれたそうです。

桑田兼吉さんは、プレゼントでホステスの機嫌を取るタイプだったそうで、紙袋に現金2000万円を入れてプレゼントされたこともあったそうですよ。

生島マリカさんの男性遍歴は、けた違いですね・・・!

まとめ

今回は、生島マリカの息子や元夫について、紹介しました!

生島マリカさんには息子が1人おり、事実婚状態だった男性との間にさずかっていたようです。

4度の結婚歴と壮絶な生い立ちが話題になっており、元カレもスケールが違う方々ばかりでしたね。

今後の情報にも注目ですね。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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